一面が銀世界の、よく冷えた朝だった。
吐き出す息は当たり前のように白くなって、少し建てつけの悪い戸を引けば、朝日に照らされた
巴の姿が目に付いた。
こちらに気づき、挨拶の代わりに微笑んで会釈した彼女。

「おはよう、巴」

彼女に届くように、少し大きな声をかけた。
まだ慣れない呼び方に少しだけむず痒い心地がする。

けれどそれが、幸せな心地だということも、分かっていた。





tea time






朝食の後。
太陽は高く昇り、けれど厚い雲に隠れがちで気温は一向に上がらず。
囲炉裏の火はいつの間にか小さくなって、室内はひんやりとした空気を纏っていた。

乾燥させておいた薬草の処理も済んで、一息つく。
寒い時ほど身体を動かして温めようとするのか、単にじっとしているのが落ち着かないのか、
ここに来てからというもの、俺は普段あまり座ってゆっくりすることがない。
それは巴も同じで、いつも何かしら仕事をしているような印象で。
傍から見ればそれは「働き者の若い夫婦」に見えるのかもしれないが、実際は、多分。

何となく、気恥ずかしいのだと思う。

祝言をあげて、きちんと夫婦として認められてはいるけれど。
気持ちに嘘はないけれど、まだ少し。
くすぐったい。

自分が、妻を持つ日が来るなんて、想像すらしなかった。
少しずつ知っていく幸せに、心が溶けていくのが分かる。

守りたいものを知らずに剣を振るっていたいた時とは違う。

身を隠すためだけではなくて、必要な、ことだったと思う。

少なくとも、自分にとっては。


そんな想いに耽って、ふと巴の事が気にかかった。
薬草の処理をする前から彼女は外に出たきりで、室内には一度も入って来ていない。
いや、正確には、一度、炊事場の桶の水を換えに来ていたか。

どうしているのかと玄関先から外を探すと、井戸の脇でその姿を見つけた。


冷たい水で、雑巾を絞る彼女。


指先が真っ赤に染まり、息をかけながら温める彼女はこちらには気づかない。
その姿は白銀の世界にぽつりと色を落としたように儚くて、知らず息をのむ。
声をかければ壊れてしまいそうなその景色に、俺はそうっと戸を閉めた。

赤い指先が閉じた瞼に焼き付いたから。
いつかの寒い夜、小萩屋に帰った俺に、彼女が差し伸べてくれた優しさを思い出した。


ちょうどいい。
今日は、そのお返しをしよう。






「巴。少し、休憩にしないか」

囲炉裏の火を熾しなおしたところに、水の入った桶と雑巾を持って入ってきた巴を誘う。

「お茶を淹れよう」

脇に置いた湯呑を載せた盆を軽くあげれば、巴は少しだけ目を丸くして、そして、微笑んだ。

「ありがとうございます」





二人で並んで座って、湯気の立つ湯呑を差し出す。
静かな室内に、吐き出す息が白く溶けた。
二口ほど口をつけた頃、静かに、巴が口を開いた。


「ちょうど、少し休憩しようかな、と思っていたんです」

「本当に?」

「えぇ。お茶を淹れて、貴方に声をかけるつもりでした」


そう言って笑う巴の顔は、少しずつ赤みを取り戻して。


「あったかいですね」


湯呑を両の手で包むように持ちながら笑う彼女の横顔に、一人幸せを噛み締める。
守りたかったのは、こんな小さな日常で。

こんな小さな幸せを、俺はいくつ壊してきたのだろう。


「そうだな。今日は、よく冷えるから」


彼女の指先も温もってくれることを祈りながら、相槌を打つ。
二人で暮らすようになって、彼女の笑顔が、少しずつ柔らかくなったような気がするのは、俺の都合のよい
妄想だろうか。
・・・俺の方が、大分と緩んでいるとは、思うけど。



束の間の休息に、心と身体が温まって。
空になった2つの湯呑を下げようとする巴の手を取った。
驚いた顔をする彼女の手は、確かに、温かくて。


「今日は、俺が下げておくよ」

「え。あの、ですが・・・」

「君の為に、淹れたお茶だから。もう少し、温まっていて?」


笑って席を立てば。


「あの、では、お言葉に甘えて」


と、所在なさげに笑う彼女。
俺の我が儘に付き合ってくれる彼女が愛しくて、またひとつ、心が温まる。

こんな日が続くなら、寒い日も悪くない。なんて。
まるで熱に浮かれたようだと呆れながら、それでも幸せだと思った。








初出20110306