血に混じる白梅の香り。

霞んだ視界に舞う、紫のショール。

崩れおちる、愛しい、人。



「巴ーー!!!」



叫んだ声は雪に溶けて、背負う罪に掻き消された。





truth






「貴方が、清里様を殺めたのですね」


夕食を終えて、差し出された湯飲みを受け取る手が止まる。
まるで明日の予定を知らせるような、そんな調子で言葉を紡いだ巴の顔は いつもと同じ。
漆黒の瞳に宿る感情は読み取れなくて、映った俺の驚く様子が場違いのようで ひどく滑稽だった。


おかしいのは、巴のはずなのに。


「と、もえ・・・?」

「知って、いるのですよ。貴方が殺めた人を。不器用で、優しかった人を。 ・・・私の、婚約者でした。」

「巴・・・!すまない、謝って済む問題じゃないことは分かっ・・・!!」


腰を浮かし片足を立てて、巴の肩を掴んだ手に紅い滴が落ちる。
見慣れてしまった、けれど場にそぐわないそれに驚いて手を引けば、巴の目から 溢れ出す紅。


紅い、涙。


「巴!?」

「貴方が、私の・・・」

「とも・・・!」


目の前の空気がゆらり歪んで、再び伸ばした手は空を掴んで、そこにいたはずの 巴が消える。
ぱたぱたぱた、と降る雨に顔をあげればあの日の姿で佇む彼女。
降る雨は、血の、雨。




「っ、あぁああーー!!」




ガシャン。


自分の発した声と陶器の割れる音に覚醒する。
静まり返った室内に響くのは荒くて不規則な己の呼吸音だけ。

頭が、割れるように痛い。

いつの間に白昼夢に囚われたのかと、頬に伝う汗を拭う。
定まらぬ焦点が彷徨い、捉えた先には、一冊の日記帳。
脇に纏めた荷物の上に乗せた、数少ない彼女の遺品。



君は、何を思ってここで俺と暮らしていたんだろう。



見る度に考えてしまう。
何度か見たはずの、幸せそうに笑う顔は最初から幻でしかなく、すべては俺の 作り出した幻想だったのではないかと。
数日前に知った真実は余りにも残酷で、けれどあれから何度も見る君の白昼夢に 問うことも出来ない。

否、問う資格が、ない。

かぶりを振って、甘い思考を振り切った。
いっそ狂えばなんて、それこそ今まで殺めた人たちへの冒涜に他ならず。

生きて、償わなければ。
例えどれだけ蝕まれようとも。



深呼吸を何度か繰り返して、現実を視る。
明日には出る家、囲炉裏に燻る火、割れた湯飲みの破片。
まだ残っていた茶が、板張りの床に染みをつくっていた。


巴。


先の日記帳を手に取り、パラパラと流す。
まだ中身を読める程、巴の存在は過去ではない。
綺麗な字で埋められたそれが途中から真白になり、最後に少し、香の匂いが した。


愛しい、忘れることのない香り。


残像とその匂いにつられるように裏表紙を捲れば、書かれていたのは2つの 日付と。



「・・・緋村巴」


一人の、名前。



視界がぼやけて慌てて日記を閉じた。
苦しい。
過去の過ちも、今の痛みも、未来に待つ罪も。 そ
れでも生きると決めた自分に、彼女が示した形。



知らず止めていた息を吐く。
少し、靄がはれたような気がした。
出口までは、まだまだ遠いけれど。



立ち上がり、柵越しに見える空を見上げた。



俺は。
君と生きてゆくことを、許されるかな。




巴。







『最愛の貴方へ』 07. いつまでもあいしています
初出20090215 / 修正・再掲20110103